堅山南風仏教画
昭和を代表する日本画家、堅山南風氏(1887~1980年)の晩年の大作で、お釈迦さまの生涯を描いた仏教画6点が本仏殿に飾られています。
「仏像を描かずに、釈尊の一生を描いていただきたい。明るい色彩で、人間の生に未来と期待があるように」。1980年に本仏殿を新築するにあたり、孝道山は堅山氏に仏教画の制作を依頼しました。堅山氏は孝道山の意見を取り入れ、お釈迦さまと縁のある花木をモチーフに作品をまとめています。作品への思いを堅山氏はこう述べています。
「お釈迦さまは、全ての生きもの―、石ころにも仏性があるとおっしゃった。仏性あるものを描くことは仏さまを描くこと。『一筆三礼(感謝)』の心で描かなければならない」(『想い出のままに』)。 《続きを読む》
「仏像を描かずに、釈尊の一生を描いていただきたい。明るい色彩で、人間の生に未来と期待があるように」。1980年に本仏殿を新築するにあたり、孝道山は堅山氏に仏教画の制作を依頼しました。堅山氏は孝道山の意見を取り入れ、お釈迦さまと縁のある花木をモチーフに作品をまとめています。作品への思いを堅山氏はこう述べています。
「お釈迦さまは、全ての生きもの―、石ころにも仏性があるとおっしゃった。仏性あるものを描くことは仏さまを描くこと。『一筆三礼(感謝)』の心で描かなければならない」(『想い出のままに』)。 《続きを読む》
大雪山施身聞法
1978年 壁画(縦2.8メートル、横9メートル) 本仏殿の地下1階ロビー
雄大にそびえるヒマラヤ山脈は、一年中雪を抱くことから雪山とも呼ばれています。群青の深い谷から湧き上がる雲が山すそにたなびいて、老松と鮮やかな赤いシャクナゲが前景となって点描されています。純白の雪と紺碧の空は、お釈迦さまの清浄な心と教えの峻厳さを、生き生きと伝えています。
堅山氏の弟子で共同制作者の一人、日本美術院同人の齋藤満栄氏は「ヒマラヤの壁画の完成時、色合いが生々しく、我々弟子はもう少し塗り足すのだろうと思っていましたが、先生は「これでよし」と、筆を止めるように言いました。「100年たつと色合いが落ち着き、ちょうどよくなる」と。100年先まで見据える色彩感覚に驚かされました」と話します。
堅山氏の弟子で共同制作者の一人、日本美術院同人の齋藤満栄氏は「ヒマラヤの壁画の完成時、色合いが生々しく、我々弟子はもう少し塗り足すのだろうと思っていましたが、先生は「これでよし」と、筆を止めるように言いました。「100年たつと色合いが落ち着き、ちょうどよくなる」と。100年先まで見据える色彩感覚に驚かされました」と話します。
「歓喜のとき」ご降誕・ルンビニ園
1978年 壁画(縦2.2メートル、横4.8メートル) 無憂華の間(貴賓室)
お釈迦さまご誕生の場面を、満開の無憂華と金色の太陽、飛び交う種々の鳥で象徴した作品です。
お釈迦さまは、母の摩耶夫人がお産で帰郷する途中、美しいルンビニー(現在のネパール)の花園で無憂華の咲く枝を手にされた時にお生まれになったと伝えられています。
画面中央の極楽鳥はネパールには棲息しない鳥。大きな歓喜を表すために、あえて華麗な極楽鳥を描いたといいます。
お釈迦さまは、母の摩耶夫人がお産で帰郷する途中、美しいルンビニー(現在のネパール)の花園で無憂華の咲く枝を手にされた時にお生まれになったと伝えられています。
画面中央の極楽鳥はネパールには棲息しない鳥。大きな歓喜を表すために、あえて華麗な極楽鳥を描いたといいます。
「聖晨」 成道・ブッダガヤ
壁画(縦2メートル、横3.7メートル) 襖絵(縦2.2メートル、横3.6メートル)菩提の間(説法室)
菩提樹のたくましい幹と階調が美しい緑の葉を画面いっぱいに配し、お釈迦さまの成道(悟り)を象徴した作品です。
堅山氏は「お釈迦さまのお徳の偉大さを樹木にたとえることはできませんが、せめてこの菩提樹の巨木によってそれを表現したいと思いました」と話しています。
堅山氏は「お釈迦さまのお徳の偉大さを樹木にたとえることはできませんが、せめてこの菩提樹の巨木によってそれを表現したいと思いました」と話しています。
「聖苑追慕」 初転法輪・鹿野苑
襖絵2組(縦2.2メートル、横5.8メートル) 本堂内陣両脇間
お釈迦さまが悟りを開いて鹿野苑(現在のサールナート)へ赴き、最初の説法(初転法輪)を描いた作品です。多根樹とシカによって表現されています。
「永劫の光」 涅槃・クシナガラ
壁画(縦2m・横1.2m) 菩提の間(説法室)
沙羅の木が夕べに白い花を咲かせ、空には銀箔の月輪がさえわたる。インド北部クシナガラ(クシーナガル)で、お釈迦さまが一切の迷いを去って涅槃に入られた森厳な様子が、群青を主調にして鮮やかに描かれています。